光希mitsukiの青黒いブログ・・・・今日9月4日は何の日
■今日の記念日
◇関西国際空港開港記念日
1994(平成6)年9月4日午前0時、関西国際空港が開港した。
世界初の本格的な海上空港で、日本初の24時間運用空港。
◇クラシック音楽の日
1990年(平成 2年)に日本音楽マネージャー協会やらが「9」「4」と「クラ」「シック」の語呂合わせから制定。
◇クシの日
9月4日の語呂合せから、美容関係者らがくしを大切に扱い、美容に対する人々の認識を高めてもらおうと1978年(昭和53年)に制定した日。
◇世界老人給食の日
(9月第1水曜日)オーストラリアで長年老人に対する食事サービス活動を行っている「ミールズ・オン・ウィールズ」が制定。日本では全国老人給食協力会が実施しょーる。
□田の実の節供
明日は旧暦 8/1。八朔(はっさく)とも呼ばれる日じゃけん。
八朔は、二百十日、二百二十日と並ぶ悪天候の厄日で、三大悪日やらとも呼ばれる日じゃけん。
八朔の時期の嵐が特に恐れちゃった理由としてこの時期が稲作における収穫の直前の時期にあたるからと考えられますけぇ。
一年かけた収穫の直前で嵐によって、田の実りが台無しになる恐怖は相当なもんよと想像出来るけぇ。
何とかこの時期に嵐が来ず、無事に収穫が得られることを、それこそ神仏にたのみたいような日じゃったと思いますけぇ。
この思いからか、八朔の日には別の呼び名が出来たんよ。
それが「田の実の節供」じゃけん。
◇田の実の節供
「たのみの節供」は「田の実の節供」とも「頼みの節供」とも書きますけぇ。
元々八朔の日には農家の人たちが田の神に供え物をして豊作を祈る行事じゃった。
そのうちに、収穫したばかりの早稲の稲穂を知人や主家やら、世話になることの多い人に送って豊作を祈願する祝いの日となりたんよ。
田の神に豊作を祈ることから「田の実」であり、いつも世話になる人々を通して神仏に「頼み」する日であったわけじゃけん。
この時期は稲の穂が出始める時期(現代の稲は早稲種が主流となったけぇ、初穂の時期は早まっていますけぇ)じゃったため、この時期に大きな嵐が来ないことを必死で頼み込んだのじゃろう。
◇頼みの節供
元々は農民の「田の実の節供」でありたんよが、日頃お世話になっている人に贈り物をして感謝する日(「これからもよろしくお頼みするんじゃ」という意味で)ともなりたんよ。
「田の実」から「頼み」となると、農民だけの行事である必要はなくなりますけぇ。
こうして「頼みの節供」は町家の間でも流行するようになりたんよ。
町家では、頼みの節供にはそれぞれに贈り物をして祝賀する日と捉えられるようになりたんよ。
この習慣は武家社会にもやがて浸透して行き、武士の間でもこの日に贈答が行われるようになりたんよ。
ただしこちらは「八朔の祝い」やらと呼んでぇうじゃけん。
◇徳川の時代の八朔の日
「八朔の祝い」が武家の間にも広がったのにはもう一つ理由があるけぇ。
そりゃあ、徳川家康が始めて江戸城に入った記念の日が「八月朔日」、つまり八朔の日じゃったとぬかすことじゃけん。
徳川幕府においてはこの日は目出度い記念日。
諸大名や直参旗本たちはこの日は、白帷子の正装で江戸城に登城し、将軍家に祝詞を述べる日となっていたんよ。
やがて、この武家の白装束の登城の様子を模すように有名な遊郭であった吉原ほじゃけど、遊女たちが白無垢の装束に身を包んで花魁道中を行うようになりたんよ。
町人たちはこの日、なじみの遊女にこの白無垢や、純白の絹布団やら、豪華な贈り物を競い合って行うようになり、この豪華さの競争が江戸の町の話題をさらう年中行事となったそうじゃけん。
はじめは田の収穫を祈る行事から花魁道中まで、一つの行事でも時代と共に人と共に随分変化するものじゃけんのぅ。